大倶利伽羅広光の構造は?

 

大倶利伽羅広光(おおくりからひろみつ)の構造は?

大倶利伽羅広光が作られたのが南北朝時代であるにもかかわらず、大倶利伽羅の彫が健全に保たれています。
とはいえ、約650年の間に何度か研磨され、それなりに減ってもいます。しかし地鉄の露出はありません。
戦国時代以降、特に江戸時代以降の新刀であれば研磨によって、内側の軟らかい地鉄が出てしまうのが普通です。
現在、一般的に行われている作刀では、軟らかい鉄を芯鉄(しんがね)として用い、外側を皮鉄(かわがね)としてより品質の良い鉄で覆っている二重構造になっています。大倶利伽羅広光はどのような作り方(構造)をしているのでしょうか?

大倶利伽羅広光(おおくりからひろみつ)の構造分析の結果

一言でいうと「無垢鍛え(むくぎたえ)」ということになります。すなわち、二重構造ではなく、皮鉄(かわがね)も芯鉄(しんがね)もない、シンプルな構造です。
刀身全体に、炭素含有量の多い焼き入れをすると硬くなる鉄と、炭素含有量の少ない焼き入れをしてもあまり硬くならない鉄をあわせて折り返し鍛えられています。2種類だけでなく何種類かの鉄を使用しているようです。(今後、もう少し詳しく分析する予定)
また、焼き入れも強めで通常の日本刀の刃より硬い部分が多いことが分かりました。(数値の発表は専門的になりすぎるのでここでは行いません。)
焼き入れがいわゆる皆焼(ひたつらやき)になっており、焼きで部分的に硬いところと軟らかいところを作り出し、折れず曲がらずの両方を実現しようとしたものと思われます。このため、いくら研いでも大肌も出ず、芯鉄(地鉄)も出ないのです。良質な鉄をふんだんに使用した日本刀です。

大倶利伽羅広光(おおくりからひろみつ)の摩り上げ(すりあげ)時期

錆の分析などを種々の方法で行った結果、戦国時代後期に行われたようです。
大雑把には1510年前後の年代が出ていますが誤差範囲がまだ広いので確定ではありません。

大倶利伽羅広光(おおくりからひろみつ)の彫の分析

彫の中にわずかに有る錆の分析からは刀身と同じくらいの年代が出ます。
また、茎(なかご)(刀を持つ際、手で握る柄に覆われた部分)の彫の底部の錆は、表面や茎(なかご)じりの部分の錆よりかなり古く、摩り上げた時期より150年ほど古いというデータが出ました。
これらの分析結果より、おそらく作刀と同じ時期に彫られたものと思われます。